みすず学苑が送る今まで誰も説かなかった大学受験合格の秘訣!
みすず学苑 学苑長の大学受験アドバイスホーム > 教育の実像「(6)「創造性」は、教育の第一義となるのか」

(6)「創造性」は、教育の第一義となるのか


いうまでもなく、教育の基礎を成すのは、学校教育。教育指針の根幹である文部科学省の「ゆとりのある生活からこそ真の創造性が生まれる」との見解には、甚だ疑問を感じざるを得ません。理由は、学校の教育の意義について、「創造性」に最も大切な価値観を置いていると受け取れるからです。

以前にも書いたことですが、看過できない間題なので、説明の補足を含め、あえて取り上げます。日本人にとっての創造性を言うならば、伝統的に、中国・朝鮮半島や欧米から渡来した素材を、まず謙虚に学び生活の中に取り入れる。そのうえで、生活に役立つように、便利で使いやすく工夫・加工してきた歴史があり、"創造性"には、そういうニュァンスが強かったはずです。ところが、文科省が教育現場に求めている創造性の定義付けは、 「欧米や古代中国における創造性や独自性を取り入れよ」との意向を強く感じます。

確かに米国人は創造的、独創的な発想をする国民性があり、ユニークなプレゼンテーションは得意です。歴史や国策、個人の生き方を見ても、米国人の長所はたくさんありますが、半面、独創的に人生を考えるため、自己中心的な生き方に走り勝ちです。それが過ぎると、誠実に相手のことを考えず、コロコロと約束やポリシーを変え、お互いにとっていい道をじっくり考え、継続して約束やポリシーを貫く姿勢に欠けます。

危惧に過ぎなければよいが、文科省の言い分(見解)を鵜呑みにすれば、教育を通して、日本古来の国民性を変えようとしているのか。それとも、全国民は、欧米人のような"創造的な生き方"を行え、と言っているに等しい―との解釈になるのではないだろうか。

日本人の長所は、チームワークや団結力や実直で勤勉に努力して、誠実に学び続ける国民性。経済が少し駄目になったからといって、他国と比較し、追随しても物事の解決にはなりません。極言すれば、洋の東西を間わず、個々の能力にかかわる創造性は、教育うんぬんの間題ではなく、まして政府(文科省)が介入する筋合いのものではない、と思います。

創造性というのは、教育の第一義になるのかどうか、改めて間いただすべきだ、との考えを強くしております。