前回書いた、詰め込み(暗記)教育批判への反論の続きです。「入試問題は、詰め込み教育を前提とした出題ばかり。それが一向に改善されないため、高校や大学に進んでから学力が伸びないんだ」との言われ方をします。この指摘は、私にいわせれば、入試の実情を知らない上滑りの批判論でしかありません。
入試の実情を書くと、東大や一橋大の世界史では、受験生の歴史観を問うような問題がよく出題されており、解答するには、世界史の基礎知識に加えて、自分なりの考え方を身につけることが必要不可欠です。さらに、自分の考えを正確に表現する論述力も求められ、暗記力に頼っては合格できません。スピード=学力と考えている上智大や国際基督教大(ICU)の英語では毎年、大量の英文が出題されます。ここでもたくさんの英文を読みスピーディーに長文を読みこなす速読速解力が求められます。また、神戸大や京都大の数学出題では、よく数学のセンスを問う図形問題がでます。高校受験に目を転じれば、灘高や開成、麻布などでは、基礎学力はもちろんのこと、ある程度の思考力がなければ解答できない文章題やパズルのような問題が、数多く出題されています。
つまり、レベルの高い高校や大学では、基礎学力のほかに思考力、分析力、論述力などの応用力がなければ合格は難しいわけです。とくに最近の傾向は、小論文や論述問題を課す学校が急増しているし、英語のヒアリングを必須にする入試も増えています。これまで以上に、暗記勉強だけでは通用しにくくなるのは確実です。これが入試の実情なのです。
では、入試で求められる思考力、分析力、論述力など応用力はどうやったら身につくのかといえば、これはもう基礎力をガッチリと固める以外にありません。その基礎力は、暗記教育で繰り返し反復勉強していくほかに道はないのです。ですから、詰め込み教育を否定されると、語学に限らず生物や歴史の教育もできません。詰め込みを批判する人の気が私には全く理解できません。理想の教育は、詰め込むべきは徹底的に詰め込み、あわせてフランスのように文科系教育、すなわち倫理、道徳、哲学、宗教、文学、芸術などの情操教育を徹底してやることです。